デフレ脱却の糸口探し〜前田正名の生き様にみる文民の戦い方

デフレだリフレだ。
ネット上で様々な議論が展開されているわけだが、手詰まり感があるのは、何となく感ずるところである。
そうだ。こんな時こそ、歴史に学ぶべきだ。


NHKの大河は、時勢をとらえて、我々にエールを贈っているかのようだ。
維新期の「龍馬伝」であり、明治の「坂の上の雲」である。


その流れも意識しつつ僕が紹介したいのは、松方デフレ期。
ひどいデフレで、農村は疲弊し、土地を手放し、離農する者が増え、都市に工業化を支える労働力が蓄積されたという、日本の近代化・資本主義を語る上で、重要な画期である。
そのなかで、文官として、文官を下野してからは地方改良運動・町村是運動の運動家として活躍した前田正名をご存じだろうか。


彼は農商務省大書記官として1885(明治17)年『興業意見』を編纂する。
欠項、時弊、参考、戒慎、統計、方法の項を設けた、体系だった経済政策構想である。
7月に未定稿が完成し、松方正義のクレームを受け、12月に定本が完成する。
未定稿では、日本経済を病者、政府を医師に見立てて、この体系をそれぞれ不具の有様、病者の容態、古法の効験、看病の心得、薬剤及滋養物の詮議、治療の方案及患者規則としている。
なお、欠項を以下に挙げるが、これを見るだけでも、力の入り様が窺える。

其一 資本と事業の釣合はざる事
  第一国力の乏き事
  第二濫りに事業を起す事
  第三無理算段の資本にて起せる事業多くして実力ある起業少き事
  第四大資本に相当する事業と小資本に相当する事業を弁別せざる事
  第五孤立して業を起す事
其二 事業を起すも引合はざる事
  第一金利の高き事
  第二運送の不便なる事
  第三雑費の多き事
  第四荷物の販売前に働きなき事
  第五精良品を作りも粗悪品を作る者に妨げらるる事
其三 不慣れなる事業を為せる事
  第一工商を兼ね営む事
  第二海外の機械を取扱ふに不慣なる事
  第三士族の商業に不慣なる事
  第四士族の開拓に不慣なる事
  第五農工商の分別判然せざる事
  第六固有の妙所を措き漫りに外風を模倣する事
其四 売捌の道に窮する事
  第一一地方の特有物産を漫りに各地にて模造せる事
  第二需要者の嗜好を詳知せざる事
  第三競売の行はるる事
  第四各国の事情に暗き事
  第五物品を貯蔵するの力なき事
  第六慥かなる問屋のなき事
  第七一時の流行に乗じて需要外の供給をなす事
  第八旧慣の販路概ね絶へて新販路未だ定まらざる事
  第九需要者の信用を得ざる事
  (以下細目略)
第五 通貨の動揺上より生ずる困難の事
第六 抵当物の不慥かなる事
第七 農工商の規律立たざる事
其八 法律の貸借取引に妨げある事
其九 団結力なき事

今にも通用する問題がちらほらある気がするが、それは現代人が、それぞれに問題意識を持つべきだろう。


さて、かかる問題に処する方法が、どうであったか。
小作条例、害虫予防規則、家畜伝染病予防規則、獣医開業試験規則など、具体的な法規の提案のほか、駒場農学校の農業大学校化、直轄獣医学校、農業試験場農業試験場、農業巡回教師、農産陳列所など具体的な組織整備について提案するなどの方法甲と、地方産業に長期低利の資金供給を行う興業銀行設立を提案する方法乙があった。
方法甲では、現実的な段階を踏んだ提案となっており、例えば製糸業においては、座繰製糸から改良座繰製糸、さらに機械製糸という方針を示し、同業組合や巡回教師制、諸研究施設の設置等の具体策を提起している。
方法乙の興業銀行構想は、大蔵省との対立で、日の目を見なかったが、方法甲は、漸次実現されることとなった*1


さて、前田自身は、この対立により、非職となるが、3年後山梨県知事として復職し、翌1890(明治22)年に農商務省工務局長、さらに翌年農商務次官に返り咲いた。
しかし、前田と長崎遊学時代に同門だった陸奥宗光農相と対立し、元老院議官に転じ、貴族院議員となった。


そして、「所見」を刊行し、地方改良運動に身を投じるべく全国行脚を開始し、さまざまな団体の起ち上げに関わった。
晩年は宮崎県の開田事業ほか、町村是運動全国的展開に心血を注いだ。
下野以降運動に身を投じた彼の道標たる「所見」には次のように記される。

…諺に曰く、空虚の袋は直立せずと。
知るべし、対立と云ひ、国家と云ひ、風俗と云ひ、国力と云ひ、民力と云ひ、生活と云ひ、国土と云ふ。
之を完全ならしめんと欲すれば、先づ産業を勃興し国力を充実ならしむるに在るを。
世人は之を熟知せり。然れども未だ之が為めに計画せる者なし。偶々之れあるも、其説く所は空想のみ、謬見のみ。
是を以て忽に敗れ、又は悪結果を見るに至る。
是れ其為す所、人の意見に出でて、物に問はざるに因るなり。
前田正名「所見」『明治大正農政経済名著集① 興業意見・所見他』社団法人 農山漁村文化協会 昭和51年

おりしも「国家戦略」を欠く今日に、「空虚の袋は直立せず」は痛切に響く。
どんなものがどれだけそろえば、「いちばん」になるのか。
前田の説く「物に問」う姿勢は、今にどれだけ必要なものか、気づかされる。

 五港の貿易、北門の鎖鑰、税権、法権、戦艦、砲台、国を維持するの事憂ふべきものなきか、教育の普及、衛生の施設、築港、治水、道路、山林、国を発達するの事憂ふべきものなきか。
 農工商業の進歩と云ひ発達と云ふ、余れ其語を聞く未だ其実を見ず進むと云ふ。何れの処に向ふか歩むと云ふ、何れの路に由るか発と云ひ、達と云ふ。何の方法を以てするか甲は西せんと云ひ乙は東せんと云ふ。何を以て其吉凶を判定するか。保護を非とす何故に之を非とするか、放任を是とす何故に之を是とするか。我国産業講ずべきの事多し、究むべきの理尠なからず、講究の材料何れに在るか進むに路なく行くに方なし。志士の頭熱せざるを得るか、仁人の腸痛まざるを得るか。天下方さに急務多くして其中に又急務あり…
…是れ文臣身を致すべき秋なり。此時に当り一人あり身を挺して難局に当り、又僚俗をして昼夜勤労、文臣の本分を尽さしむ。是れ将校が兵卒を指揮して硝煙弾雨の間に馳駆すると同一事ならずや。

何をすれば伸びるものが見つかるのか。
それは途方もなく、ただ急務としてあるのみである。
硝煙弾雨が飛び交う中ではないのだから、身を挺するところは、この難局にあることを心しなくてはならない。
↓もっと詳しく知りたい人のために

前田正名 (人物叢書)

前田正名 (人物叢書)

*1:参考文献:祖田修「解題」『明治大正農政経済名著集① 興業意見・所見他』社団法人 農山漁村文化協会 昭和51年