ポップを標榜した秦基博の音楽

秦基博のライブに行った。
今回は1月末に発売された4thアルバム、signed popを基調にしたライブ。


今回のアルバムで特徴的なのは、プロデューサー陣が多彩だということ。
音楽性の幅が前作よりぐっと広がっている。


pop、秦本人は、それを普遍性と語る。
口を憚ることなくいえば、映画だのCM だの、作品の日常性がなりをひそめ、商業主義の影響が見え隠れする作品群のことと言えなくもない。
こうした作品群もいやらしさがなく、素直でストレートな歌詞を載せられるのは、彼一流と言える。


そんななかではあるのだが、アルバムのなかで僕が出色だと思うのが、自画像。
ライブではひとなつの経験とひとつの流れで演奏された。


どちらもファンキーなグルーヴが身上。
かたやさわやか、かたや気だるく退廃的なコントラストに僕はやられた。
自画像には、日常性やリアリティーが僕には感じられるから尚更だ。
それはどす黒く、とぐろを巻く、愛への懐疑であるのだが、秦と久保田光太郎のギターの旋律、リズム隊のファンキーなグルーヴが渾然一体となったとき、どす黒い混沌がある種のカタルシスになるのを感じた。


そうした音楽体験ができたことが、僕にとっては何よりの収穫だったようにおもう。

家族のうたが打ちきられる件

フジテレビの豊田皓社長は25日、東京・お台場の同局で定例社長会見を開き、 視聴率の不振のため第8話で打ち切りが決まったオダギリ・ジョーさん主演の連続ドラマ 「家族のうた」について、不振の理由を「主人公のキャラクター設定が、 典型的なロックミュージシャンとしたが、気持ち的に優れない。 キャラクターの態度や口調が、視聴者の共感を得られなかったのでは」との見解を表した。
ストーリーについては「主人公が父性に目覚めて、人間の絆を展開していくということでいえば、 温かいストーリーだったと思うが、キャラクターの設定がそもそも厳しかったのでは」といい、 打ち切りを発表後、視聴者の反応は「『なぜ続けない?』という意見が殺到した。 応援メッセージは600〜1000件を超えた。皮肉だなと感じている。楽しみにしてくれた方には申し訳ないが、 支持されていなかったという面もある。視聴者の支持を受けられる番組をお届けするのが責任」と話した。
家族のうた」は、落ち目のロックミュージシャンが、突然現れた娘らに戸惑い、 振り回されながらも人として父親として成長していく……という物語。
オダギリさん演じる自分勝手に生きる主人公・早川正義が家族を背負うことになり、 困難を乗り越えながら再び成功に向かって歩き出す姿を描く。
4月15日に放送された初回の平均視聴率が6.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、 4月22日放送の第2話は3.6%(同)となり、その後も3%台が続き、 6月3日放送の第8回で打ち切りが決定した。
豊田社長は、日曜午後9時のドラマ枠については「あの時間は心温まるドラマが展開されるべき。 (昨年放送の)『マルモのおきて』がよかったので、逃げないで、ドラマで挑戦していく」と語った。(毎日新聞デジタル)

ミジンコだのダイナマイトだの妙ちきりんな語感のセンスもさることながら、ロックってなんなのだろうかというのが、伝わりづらいのは感じざるを得ない。
でも、僕はオダギリジョー扮する早川正義の、本当はどうすればいいかわかっているのに、そうできず、自分のポリシーを貫いてしまうけど、それを受け入れてしまっている姿とか、普遍的じゃないかとおもったけどなあ。


基本ロッカーなんて、「いたい子」なんですよ。
そこをユーモアでクールにしてしまうところが、ロックのマジックなのですよ。
いたさも極めればモノになるって、なんか、夢を感じませんか?
だから、ロックは繊細で、自分の思いを貫けない弱虫の「ミジンコ」の味方なのですよ。


だから、打ち切りなんて愚の骨頂。
ロックに共感するのはコアな人たちな訳で、その人達のカタルシスのために、続投というのがクールかと。
所詮はロックをテーマとする番組を作るのにロックを異形に押し込めてしまうのがトップというテレビ局にはそもそも期待できないわけだけど。

鼻につかない子役論〜深イイ話での大橋のぞみ卒業

子役は鼻につくことが多い。
近頃の芦田愛菜にさえ、多少感じてしまうあたり、僕はすさんでいるのかもしれない。
ただそう感じさせなかった子役がいる。
それが、大橋のぞみだ。


その理由が今日の深イイ話を見ていて、溜飲がくだった。
彼女は、今やめずらしいという三世代同居世帯育ち、つまり育ちがいいのだ。


僕の子役が鼻についてしまう理由。
それは子どもらしくないところだ。
とにかく大人の目をひきたい。自分に注目を集めたい。そして愛されたい。
そのためには「大人顔負け」が条件になるし、いたいけにもがんばる。
だから僕は見ていて辛くなる。


大橋のぞみはそれをほとんど感じさせなかった。
あまり熱心に彼女がでているものを見ていたわけではないが、「白い春」や近頃では「相棒」のスペシャルでの出演が印象に残っている。
決してかなりうまい演技という印象はないのだが、大人の猿真似をしている感じはなかった。


で、深イイ話では芸能界卒業ということで、何で卒業するのか自分の言葉で述べていた。
将来何になりたいかわからないからだという。
それに、中学校に入って、吹奏楽部に入って、トランペットを吹きたいのだって。


すごくありふれていることだが、素敵なことだと思う。
中学高校の思い出で一番のものといえば、やはり部活だ。
部活やらでいろいろな経験をするなかで、自分の仲間をみつけ、善意と悪意が交錯する世間をわたっていく知恵を身に付けていくのだから。


ちょっと話の軸をずらして、僕自身の回顧をしてみる。
自分が子どもだったころ。
今でも強烈に覚えているのは、はじめて母と離れた時間を過ごすことになった幼稚園の入園のときである


甘ったれの僕はわんわん泣いていた。不安だったのだ。
でも、家に帰れば母がいて祖父母がいて。
意地悪な子がいて、泣かされて帰っても、自分がおもらしをして情けなくても、平気でいられた。


父母や祖父母という絶対に近い安心があったからだ。


思春期を迎えた。
勉強はできるほうだったが、自分が何をしたいのか、何者になりたいのか、わからないし、それは長い学生生活を経て就職した今でさえもよくわかっちゃいない。
ただ、思春期を経て身に付けられたものは、いろんな経験をして、絶対に近い安心がベースに、いやなことがあっても、立ち直れて、人ととの信頼関係が築けるようになった、それだけのことである。
あと、大人になってやっていることは、信頼できる人を幸せにしたいという思いを形にするために動いているというだけのことである。


大橋のぞみは深イイ話の最後で、歌った。
崖の上のポニョと、今日の日はさようならだった。
やはり、最後までへたうまだったが、僕はほっとする思いがして、そして大橋のぞみの門出を祝福したい気持ちで、満たされていたのだった。

戦争を知る世代の死と世代をつなぐということ

あまり僕が書かない身辺のことだが、祖父の弟が、奇しくも死んだ祖父の誕生日に亡くなった。
祖父は四人兄弟で、ふるさとに生まれ、戦火をくぐりぬけ、三人はふるさとに骨を埋めた。
僕が知るのは祖父を含めたその三人で、三人に関して、もっとも鮮明に記憶しているのは、ある日小学校から帰ってくると、祖父が生き写しのようにそっくりな人とお酒を酌み交わしており、「じいちゃんが三人いる!」と無邪気に言いはなったのをほろ酔いの三人に和やかに迎えられたことだ。


その時以来、盆や正月にたまに顔をあわせて挨拶するくらいなもので、僕の感覚では、祖父の弟は、遠い親戚の一人でしかなかった。
ふるさとで生まれ、学生時代だけふるさとを離れ、ふるさとで働いている僕は当然その感覚のままに通夜に参列した。


そして、僕は通夜で出会った。
それは誰とかいえば、、、
死んだ祖父とであった。


個人を偲ぶ写真のスライドショーが流されていたのだが、僕が知らない、若かりし祖父と、祖父の弟夫婦の写真があった。
その写真をきっかけに、自分の記憶からうすれつつあった祖父がよみがえってきたのであった。
その写真はいわくつきで、祖父の弟夫婦は、祖父がキューピッド役だったから、祖父が祖父の弟の父親然として、祖父の弟夫婦が座る後ろに、誇らしげに立っている写真だった。
祖父は祖母の妹の結婚を世話しており、要するに世話焼きだったのである。
当然そんな人だから、酒好きで、小学生時代の僕は、相撲を見ながらの祖父の晩酌に、酒の肴のお刺身目当てだったのだが、付き合ったものだった。


そんなところが出発点であったが、祖父のことを思い出して気づいたこと。
祖父が僕に語ってきたことについて、僕のなかでの解釈が変わってきたことだ。


祖父は酒を飲んでいるとき、戦争の話もしてくれた。
遠い昔の悪夢を思い出すように、固く目を閉じて、「今となっては考えられないことでしょう」という決まり文句をつけて。
それを聞いて幼い僕が思ったのは、「戦争は悪いことだ。戦争放棄を謳う憲法第九条は正しいことだ。」


でも、今になって考えると、祖父が言った戦争はいけないってのは、九条に総論賛成なのだが、文脈が九条とは違っており、僕は幼い頃その辺を誤解していた気がする。


というのは、祖父は戦争で、海軍に所属し、甲板警備の折りには、隣の戦友が機関銃で撃たれ、戦死したと話していた。
そんな思いはしたくないし、させたくないというのが第一にあるのは確かだ。
しかし、思い出してみると、祖母が僕に戦争体験を話して聞かせたときに、祖母に、祖母は祖母で大変だっただろうけど、兵隊を経験したわけではないだろうともいっていた。
祖父のなかには、日本のために戦い抜いたという自負があり、そのこと自体は貴としていたということだ。


つまり、日本に何かあったときは、武器を手にしてでも、戦う覚悟は持ちつつ、戦争はいけないことだから、もう二度とすべきでないというのが実のところではないかと思う。


その意とすることと、祖父や祖父の弟の生は、反することなく、僕らの親の世代も僕らも、戦争を知らない世代としてつないでくれた。
つなげることができたのは、まさしく戦争状態から脱し、人間らしいくらしを取り戻せたからにほかならない。


人間らしいくらしに、武器は必要ないのか。
戦争をするには武器は必要だが、武器があるから戦争をするのではない。
例えば、暴漢におそわれたとき、誰しも手元に鉄パイプでもあれば、それを武器に応戦するだろう。
その武器がかりに暴漢をあやめたときに、正当防衛という考えが認められず、罪人になってしまうことを公正とする世の中であってほしいか。


祖父母たちの人間らしいくらしを省みると、次の世代を生み増やし、世代をつなげることもひとつの要件としてあった。
僕らの親の世代はどうだろう?
戦争がないにもかかわらず、生み増やすことには失敗しているし、僕らの世代もそれに続く傾向にある。
思うに、それは子育てが親の責任であるという当然の覚悟を持たず、過度に保育行政に押し付けようとする傾向もひとつにあるだろうし、祖父のように世話焼きが減っていて、次世代を生み増やす意識もうまく醸成されていないことがあるだろう。


問題は多いまま、僕らにバトンがいやが応にもまわってくる。
父母を、祖父母を思いだし、そして知恵を絞って、ことにあたっていかなければならないことを、祖父との再会が思い至らせてくれた。

都と鄙とロックと〜フィッシュマンズとカサリンチュ

4か月も前になるが、カサリンチュの初ワンマンライブを観た。


一曲めの「high high high」でタツヒロが歌詞を飛ばしてしまうというハプニングにはじまったが、緩急のある構成で、聴かせるし、楽しいし、とにかく盛り上がったいいライブだった。
箱が小さいからこそ、彼らの人柄まで伝わってくるかのようで、9月19日に放送された日本テレビトークバラエティ番組「ブラマヨの世紀の和解SHOW」のコウスケの裏話から、タツヒロの初チューの甘酸っぱい思い出話と、最初は硬かったが、MCも印象深かった。


僕は前にも書いたが、彼らの音楽性を高く買っている。
どういう点においてかというと、まず歌詞である。
前にも述べた通り、素直かつストレート、そしてなにより生活感がある。

次にグルーヴ感が挙げられる。
アルバム「sunny day style」からは、波打ち際で聴く、寄せては返す波のようなグルーヴが感じられる。

それから曲の豊かさも挙げられる。
「やめられないとまらない」の高揚感と「僕の部屋」の情感、どちらも味わい深い。


これらをなぜ彼らがうみだせるか。
僕が思うにそれは彼らが兼業ミュージシャンであり、かつ離島に半分、生活の基盤を置いているということがある。
彼らの音楽は都市に生活の基盤を置くものには掬いきれない気持ちを汲んでいたり、都市では味わえない言わば「鄙」の空気感を漂わせているのだ。


逆に「都」の空気感を漂わせているミュージシャンがフィッシュマンズだ。
サリンチュの「僕の部屋」とフィッシュマンズの「MELODY」を比較してみると、空気感がどう違っているのか、よくわかる。
この二曲は、男の独り暮らしの部屋で、恋人との別れをかみしめているという点で共通している。


違いが現れるのが、歌詞の中の「光」の使われ方だ。

僕の部屋


日当たりは良好
海からの風
君がもう来ることのない
そこが僕の部屋

MELODY


よく日の当たるこの部屋では音楽はマジックを呼ぶ
地上7メートルこの部屋では太陽は人を変えるよ
(略)
窓からカッと飛び込んだ光で頭がカチッと鳴って
20年前に見てたような何もない世界が見えた
(略)
あと2時間だけ夢を見させて
ホコリと光のすごいごちそう
(略)
見えてる景色
窓枠どおりの
鉛筆で書いたみたいな


「僕の部屋」から自然の陽光の色彩豊かさと心の虚無とがコントラストになっている。
「MELODY」の光は、セピア色のようにイメージしてしまう(「鉛筆で書いたみたいな」とも重なる)。
というのは、それなら自分でも感覚としてわかるからだ。


独り暮らしのマンション暮らし。
鉄筋コンクリート造であれば、白壁が囲む四角い空間だ。
7メートルの高さにあれば、部屋にいて横になっていたり、座っていれば見えるものは窓枠をキャンバスにした空だけ。
光の加減で、セピア色のように見えたことが僕にはあり、その時、異世界に迷いこんだかのような感覚があって、もとの世界や過去への郷愁を覚えた記憶がある。
こうした記憶と「MELODY」の世界は繋がるように思うがどうだろう。


次に聴覚も異なる。

僕の部屋


台所から換気扇の音

MELODY


Hey Music Com`on Rockers 僕に
Melody 暗いメロディー ずっと
(略)
ゆれるテンポの中で見たこともない顔を見せる
君は今も今のままだね
流れるミュージック 暗いメロディー 君がくれたメッセージ


「僕の部屋」では、静寂が部屋を支配していて、換気扇の音しか残っていないということで、「君」の喪失感をうまく表している。
「Melody」では、おそらく「君」が好きだった暗いメロディーのロックがかかっている。
そして、主人公は、ベッドに横たわってボーッと窓からみえる空をみて、「君」を思い浮かべている。
都会の喧騒から、異世界を作り出したきっかけとして、偶然の光の加減で見えたセピア色の空と、「君」が好きだった音楽を使っている。


風土は違えど、同じように男女が出会って別れて、そんなことを歌にしている。
人の営みに大差はなく、風土や作り手の経験のニュアンスの違いが、メロディや歌詞に違いをうみだす。
サリンチュにせよ、フィッシュマンズにせよ、自分と向き合って、ときどきで変わる気持ちを切り取っている点ではなんらかわらない。


こうしたドラマの舞台はどれだけ存続するか。
都と鄙と、片や人が多すぎることが問題で、片や限界集落だの人がいなくなっていくことが問題となっている。
自分と向き合ってときどきで変わる気持ちを切り取って表現することを、ロックとするならば、ロックの精神で、人間として素直な気持ちをたぐりよせていけば、自ずと何が必要か、わかってくるのではなかろうか。

ロックの精神性について〜「怒哀」と普遍性

「ロック」と聞いて連想するものは?と問われて何を答えるだろう。
セックスピストルズMC5、日本では忌野清志郎みたいな人たちが体現するもの?
もちろんそれは僕も連想する。


しかし、僕は、たとえばDAIGOをみても、ロックをあまり連想しないし、ロッカーを自称する人から、ロックを連想することがちょっと困難だ。


ただ、僕は、柴田淳はロックな人だと思うし、やなせたかしもそのように思う。
それは、僕のなかでのロックは、「喜怒哀楽」の「怒哀」が要素であると考えるからだ。


ロックのルーツは、もちろん黒人音楽を含めた民族音楽である。
それはリズムアンドブルースだったり、カントリーだったりするわけだが、僕が考えるロックに通底しているのは、抑圧や不条理から生まれたやり場のない怒りや悲しみが込もっているということだ。


たとえば、ジョン・レノンの「イマジン」やボブ・ディランの「風に吹かれて」を想像してほしい。

ジョン・レノン「イマジン」
Imagine there's no Heaven(天国はないと想像してごらん)
It's easy if you try(それはかんたんなことだろう)
No Hell below us(私たちの足下に地獄はないし、)
Above us only sky(上には空が広がるだけ)
Imagine all the people (想像してごらん)
Living for today...(すべての人が今を生きているということを)

Imagine there's no countries (国がないと想像してごらん)
It isn't hard to do(難しいことじゃない)
Nothing to kill or die for(殺しあう理由も死ぬ理由もない)
And no religion too (それは宗教がないと想像しても同じこと)
Imagine all the people(想像してごらん)
Living life in peace(すべての人が平和な生活を送っていることを)

ボブ・ディラン「風に吹かれて」
How many times must a man look up(何度見上げれば)
Before he can see the sky? (空は見えるのか)
Yes, 'n' how many ears must one man have(どれだけの耳があれば)
Before he can hear people cry?(人々の泣き声を聞けるのか)
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows (どれだけの死があれば)
That too many people have died?(あまりにも多くの戦没者を知るのか)
The answer, my friend, is blowin' in the wind, (友よ、その答えは風のなかにある)

どちらも、反戦歌の文脈で語られるものでもあるわけだが、天と地や風のなかで、人の業が引き起こすやむことのない争いへの、静かで深い怒りと哀しみ、そして無常観とが横たわっている。
この二曲は、名曲として、広く世界に知られているわけだが、それだけの普遍性があるとすれば、怒りや哀しみであると言えよう。


となれば、日本のそういう普遍性の表現者として誰を挙げるかについて、僕は、柴田淳や、さらにはやなせたかしを、挙げてしまうわけだ。
柴田淳は、片想いの哀しさを歌わせたら、右にでるものはないんじゃないかというのは、過去のしばじゅん関係エントリーを参照いただきたい。


やなせたかしについては、

「手のひらを太陽に」
生きているから 悲しいんだ
手のひらを太陽に 透かしてみれば
真っ赤に流れる 僕の血潮
ミミズだって オケラだって アメンボだって
みんなみんな生きているんだ 友達なんだ

手のひらを太陽に - Wikipedia
作詞者のやなせは、「厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯で冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った」と述懐している。

アンパンマンマーチ」
そうだ。うれしいんだ生きる喜び。
たとえ胸の傷が痛んでも

「手のひらを太陽に」を作ったときが、やなせにとって大変な時期だったことは、ウィキペディアにあるとおりだ。
悲しさが織り込まれた人生賛歌だからこそ、口々に歌い継がれる普遍性を得ているのではなかろうか。
アンパンマンマーチ」も同様で、生きる喜びを歌うのに、胸の傷という苦を引き合いに出し、その裏にあるドラマを織り込んでいる。
だから、味わい深くひきこまれる感覚が、やなせの詩にはある。


「怒哀」を要素としているからこそ、ロックは世界商品たりえたのではないか。
それも、多くは歴史性をせおっていて、民族や人種の問題がそこには横たわったうえでの、やり場のない「怒哀」である。
そもそも、喜びに同情するとは聞かないが、不幸や哀しみに同情するのはよく聞くことだ。
この心性って、説明しがたいところで、本能のようなものなのかもしれない。
だから、僕は、その本能に作用する要素があるものを、ロックと定義したほうが、カウンターカルチャーとしての存在も際立つのだし、よいのではないかということがいいたかったために、ちょっと無理がある部分も含めて極端を述べたのである。


なにぶん、「ロック」とはという、大風呂敷を広げてしまったので、なかなか収拾しないのだが、いろんな楽曲に触れ、もう少し語っていけたらと思っている。
それはまた別の機会に。

「家族らしきもの」と「家族」のあいだ〜三木聡監督作品「転々」と『共同幻想論』

「ちょっと話を聞いてもらえば、すっきりするんだけどなあ。」
自分が抱えているものが、整理できなくなってきたとき、人恋しくなる感覚。


その人恋しさの渇望を満たせなかったとき、ほかの欲望で解消しようとする。
暴飲暴食してみたり、物を買ったり、度を過ぎれば生活を持ち崩す方向にいくこともある。


こうしたどうしようもない感覚はドラマのイベントフラグになっていたりもする。
そして救いとなる導きの糸が降りてきて、それを主人公は手繰っていく式に展開する。


三木聡監督作品の「転々」もこの類に属する。

転々 プレミアム・エディション [DVD]

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転々 (新潮文庫)

転々 (新潮文庫)

オダギリジョー扮する主人公の文哉は、親なしの影のある大学生で、ギャンブルの借金を抱える。
導きの糸が降りてこないかなという願望は、3色の歯磨き粉≒虹≒希望の連想ゲームで象徴的に描かれる。
そして、その希望が壊されるような外観を呈して、導きの糸が降りてくるのだ。
借金とり、三浦友和扮する福原愛一郎が押しかけてきて、80万3日以内に用意できなければ、ホモのおっさんに体売って支払えと。
猶予期間が与えられるが、当然用意できるわけもない。そして、妻を殺し、借金とりを廃業したという福原の「チャラにして100万やるから東京散歩に付き合え」という突飛な申し出を受けることになる。


コント仕立ての「東京散歩」で、福原と若い男を漁っていたというその妻の関係、文哉のおいたちが、明らかになる。
つまり、福原が子を失った夫婦であり、文哉が親に捨てられた子であり、お互いに自分に欠くものを補う存在であり、擬親子のような絆ができあがっていく。


さらにストーリーは加速度を増す。
福原は闇社会の人間であるが、闇と表の境は曖昧で、福原が結婚式の親族のサクラをやったときの小泉京子扮する「妻」のもとに、自由に厄介になれる関係にあった。
ひょんなことから文哉とともに厄介になることになる。


そしてさらに偶然が重なり、小泉京子扮する「妻」のもとに、姪である吉高由利子扮する富富美が訪れ、福原と「妻」と文哉は、富富美のまえで、親子ということになった。
ひとつの食卓を囲み、休日に家族で遊園地にいくなど、文哉が渇望していた理想的な家族が実現することとなるが。。。


というストーリーである。
家族。基本的には血縁なわけだが、荒唐無稽のなかで、いとも簡単に擬制的なそれはできあがることを見ることができる。
その作られた「家族らしきもの」と、「家族」にはどのような関係があるか。


吉本隆明は『共同幻想論』の「母制論」と「対幻想論」のなかで、家族の成立について、論じている*1

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

要約すると、〈性〉が〈対なる幻想〉(観念)として成立し、部落のなかで家族から排除される〈性〉(母系制でいえば男性が女性のもとに嫁ぐということは、婚前の家族から排除されるということ)ができたときに、〈家族〉という〈共同幻想〉(観念)ができあがり、出産サイクルから〈時間〉性が意識され、〈母系〉制ができあがり、子育ての必要から、〈母系〉制の必然性みたいなのがなくなって、さらには〈世代〉という観念ができあがっていった。
さらに社会が複雑化していき、共同体の基礎を部落においていた〈家族〉が、部落から分離したとき、〈家族〉自体が〈対なる幻想〉であるところから、〈対〉にあるものを疑うようになって、〈自己幻想〉が問題となってくる。


かかる〈性〉→〈家族〉→〈自己〉という経緯の整序の吟味は、必要である気はするが、大きくとらえると、そう思われるところがあるのは〈自己〉の問題がこと近代以降クローズアップされているからである。
「転々」は、〈自己〉の〈家族〉への憧憬が、〈家族らしきもの〉を産みだしただけなんだという、実は単純なことに気づく。
〈家族〉は、吉本がいうように〈共同幻想〉として、観念されるものであろう。
その先に派生する観念が〈自己〉であり、そこが〈家族〉を問題にするということは、結局もととなる観念が、循環するだけのことなのだ。


究極言ってしまえば、〈自己〉は〈性〉から解放されなければ、〈家族〉からも解放されない。
解放されないのだけれども、そこから離れていったとき、幽霊のようにならざるを得ず、欠いたものへの渇望がただ膨れるのみなのである。
ストーリーは荒唐無稽なのだけれど、この渇望に普遍性があり、それを軸にしてぶれていない、そして幽霊のような人間が人間性を取り戻していくさまにカタルシスがあるから、「転々」を味わい深い人間劇として見ることができる。