作り手柴田淳のアダプテーション的焦燥感〜柴田淳「ゴーストライター」雑感

シンガーソングライター界のブログの女王と言えば、柴田淳
彼女には、もう一つ女王の称号がある。
それは、昼メロの女王。
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前には「夢」「幻」「紅蓮の月」、そして昼メロではないが、おみやさんに使われた「おかえりなさい」もその線である。
その線の一応の集大成として、本人出演のショートムービーも収録された、シングル曲「HIROMI」をあげてもよいのではないか。
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その「HIROMI」が収録されたアルバム「月夜の雨」から、約1年。
6thアルバム「親愛なる君へ」では、彼女自身のオーストラリア行きもあり、作品自体に「月夜の雨」から一変、1曲目から「カラフル」と来るように陽光が差した感があった。

親愛なる君へ

親愛なる君へ

そこからまた1年。
今月4日に今までのタイトルから想像もつかない、「ゴーストライター」がリリースされた。

参考 柴田淳のアルバムタイトル一覧
1st オールトの雲
2nd ため息
3rd ひとり
4th わたし
5th 月夜の雨
6th 親愛なる君へ

ゴーストライター

ゴーストライター


全体的に聞き込むと、今までで一番暗いような気がする。
でも、今までのアルバムどおり、あらたな挑戦がある。
今までの挑戦を振り返ると、「ため息」からはじまり「わたし」「月夜の雨」にわたる王子様シリーズのコミカルな曲への挑戦、「ひとり」の「かなわない」・「親愛なる君へ」の「メロディ」のようなジャジーでアダルトな曲への挑戦、「ひとり」の「虹」のようなロックへの挑戦、「月夜の雨」の「涙ごはん」のようなAIKOのお株を奪うような曲への挑戦など、枚挙に暇はない。
今回で言えば、1曲目の「救世主」のかっこいいロック、2曲目の「透明光速」のオシャレ80年代風、4曲目の「うちうのほうそく」のほのぼのオールドジャズが新たな挑戦としてあげられよう。


噛めば、いろんな味が出てくる。すばらしいことだ。
でも、最初に書いたとおり、まず「暗い」というのが印象なのである。
これはなぜか。


今までにあって、このアルバムにないもの。
それは、柴田淳の記念碑的な曲である。
たとえば「わたし」の「一人暮らし」。
実家から出て、一人暮らしをはじめた時の、母への感謝の気持ちを歌っている。
ほかにも、「月夜の雨」の「私の物語」。
ライブの時に、病気になって支えてくれた人たちを思って書いたと言っていた。
そう。今回は柴田淳自身の個人的な要素がないのだ。


ここまで書いてくると、なんとなく「ゴーストライター」に、憶測に過ぎないが、一つの解釈ができあがってくる。
それは、幽霊が書いたようなアルバムだということである。
一つの意味として、今までの自分でないようなものが書いたという意味で、もう一つの意味として、柴田淳個人を意識的に歌詞の世界から消したという意味で幽霊が書いたということである。


柴田淳のダイアリーファンならおわかりかと思うが、今回のアルバム制作にあたって、産みの苦しみにかかる書き込みは、今まで以上に多かった印象がある。
私は、その姿にスパイク・ジョーンズ監督の映画「アダプテーション」のニコラス・ケイジ扮する脚本家チャーリー・カウフマンを重ねてしまった。


チャーリー・カウフマンは、「マルコビッチの穴」で一躍有名になった実在の脚本家である。
劇中、チャーリー・カウフマンは、依頼された脚本が書けずにスランプに陥る。
プライベートもうまくいかないし、ついには全く素人でシナリオ講座を受けた双子の弟のアドバイスにもしたがいそうになり、ついにタブーとしてきた自らを脚本に登場させるという禁を犯す。


アダプテーションの禁は、自らを登場させることであったが、彼女はその逆。
自分の姿を、歌詞から消してしまった(実のところは私の読みが浅いだけかも知れないが)。
そこに自分を賭して曲を作るシンガーソングライターとしての焦燥感にも似たものを感じてしまう。


だから私は、この事態が心配である。
宇多田ヒカルは、3rd「DEEP RIVER」から4th「ULTRA BLUE」で、歌詞の世界から自分の姿を消した。
5th「HEART STATION」に至って自分の姿を復活させるわけだが、正直3rdと4thはどこか味気なかった。

HEART STATION

HEART STATION


柴田淳の場合、音楽性を充実させているから、味気ないわけではない。
過去にばかり目が向いた、暗く冷たい闇を感じてしまうのだ。
今までのアルバムをほっとあたためてきた、血の通った自分の今を描いた曲を私は切望してならない。