悲しみを払拭するに足りないやさしさと「僕」〜秦基博再々論
前回・前々回で、
1.英語を使わない日本語の詩で勝負していること
2.彼の詩の世界には、季節や風景が描かれていること
3.詩に描かれた季節や風景のなかに、「僕」の気持ちを切り取って焼き付ける独特のセンスがあること
を評価し、
4.「誰かのために」生きることが「僕」の「やさしさ」であり、その心は風景の美しさを眺める感性、つまり世界への畏敬・信頼感がもととなっている。
5.世界への信頼感のなかで自己や世界との関係を再構築していくところに「僕」の強さがある。
と述べた。
さて、秦基博は「やさしさ」について、「新しい歌」のなかでこう歌っている。
答えはあふれすぎていて 何がホントかわからない
やさしさだけ並べた歌じゃ 誰のことも救えやしない
何をどうして僕は歌えばいいのだろう
「やさしさ」だけでは足りないと言っている。
「やさし」くありたい「僕」がどうしたことか。
この歌の全体像をあきらかにすると、
悲しいニュースにもなれてしまったのかもしれない
目を閉ざしてこのまま今は何も見たくないよ
空をよぎる悲劇もこの苛立ちもいつか消える日が来るのかな
「悲しいニュース」「悲劇」に対峙している時のことであることがわかる。
ここで登場するのが「君」である。
帰らないでこのまま 君の胸で眠りたいよ
終わりのない迷いも大丈夫だよと そっと抱き締めて欲しいんだ
そしてラスト。
離さないでこのまま 君の胸で夢見させて
やわらかな鼓動の中 新しい歌きっと生まれてくるから
ダウンサイジングしていく日本のこの時勢、成長を前提とした時代遅れのモデルからモデルチェンジすることなく、局所的な成功ロールの過酷ないす取りゲームにしのぎを削っている「僕」らの世代。
疲弊していく「僕」らが帰る場所・・・それこそ「君」なのだ。
ゆっくり眠って、疲れをいやすことが、明日への活力につながるというのが、「君」の胸で眠る第一義だろう。
そして、対象が新しい歌ではあるが、「生まれ」るということにつながるという連想ゲームでいけば、「君」は命の源泉であることも想起させる。
「君」と寄り添い、希望に満ちた新たな命を生み育てる・・・「悲しいニュース」や「悲劇」を乗り越える最もラディカルな方法の提案ともとれるのは僕だけだろうか。
(将来の経済規模拡大につながるではないか!)
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