自由で殻やぶりな「鬼」たれ〜『長谷雄草紙』を読んで

時は平安。
平安京の南門であるところの朱雀門は「鬼」の棲み家だったというのは、おそらくは鎌倉時代の説話の世界である。


菅原道真の教えを受けた学者の一人に、紀長谷雄(845〜912)がいる。
宇多天皇(在位:887〜897)の寵を受け、図書頭・文章博士を歴任し、従三位中納言を極官とする。
また、『紀家集』にも七篇の文章を残している。


今日の話は『長谷雄草紙』の話で、そのなかに「紀中納言」とあらわれるから、おそらく中納言となった911〜912年に、長谷雄の身に起こった、奇怪な話である*1


夕方、参内しようとしていた長谷雄は、双六をうちませんかとやってきた男に誘われるまま、朱雀門の楼の上で双六の相手をする。
賭けものは、男が「見めもすがたも心はへも」すばらしい女性に対し、長谷雄は全財産。
勝負し、「よのつねの人のすかた」であった男は「まくるにしたかいて」「おそろしけなる鬼のかたちに」。


狛朝葛(1249〜1333)『続教訓抄』の所引の「或記」によれば、16回打って、16回勝ったそうだ。
男はもとの姿に戻り、別の日に女を連れてくることを約束し、楼から降りて、長谷雄は無事に帰った。


男は、ある晩、絶世の美女を連れてやってきた。
長谷雄は女をもらい受けたのだが、ひとつだけ条件があった。

こよひより百日をすこしてまことにうちとけ給へ
百日かうちにおかし給なは、かなしきほいなかるへし

つまり、

今晩から百日経ってから、男女の関係になってください。
百日のうちにその女性を犯すと、悲しい結果が待っています。

と。


懊悩の日を重ね、100日もあとわずか10日あまりとなったある日。
長谷雄は、十分月日が積もったのだから、さしたることもないだろうとかたく思い、

したしくなりたりけれは、すなはち女は水になりて、なかれうせにけり

女に手を出してしまったところ、女は水になって、流れていってしまいました

と相成ったわけである。

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↑どうでもいいけど、上の絵をみて思い出した。


それから3ヶ月後、内裏から退出していた長谷雄の牛車の前に、男が立ちはだかり、長谷雄をなじったので、長谷雄は北野天神に「たすけ給へ」と念じたところ、男は朱雀門の鬼という正体を表し、

女といふは、もろもろの死人のよかりし所ともとりあつめて、人につくりなして百日すきなは、まことの人になりて、たましいさたまりぬへかりなるを、くちおしく契をもすれは、おかしたるゆへに、みのまたうせにけり。
いかはかりか、くやしかりけん。

女は死人のよいところを寄せ集めて作ったのだ。
百日過ぎれば誠の人になって、魂が定まるところだったので、口惜しく(犯さないと)約束までさせたのに、犯したから、女の身はまたなくなってしまった。
どんなに悔しいことか。

と捨てぜりふを残し、去っていったのだった。


疑問が3つほど浮かぶ。
1.北野天神は、一条天皇治世下の987年にその称がつけられたので、長谷雄存命中に存在しないのに何故あるのか
2.鬼は「おそろし」い存在であるはずなのに、そう印象づけられないないのはなぜか。
3.鬼が長谷雄におそらくわざと双六に負けてまで女を託したのはなぜか


1は、鎌倉時代の創作であることの証左であると言える。


2は、同時代の用法で行けば、例えば、平安中期に喜界島は夜光貝など貴ばれる財物を供給する「貴駕島」という用字で古記録に出てくるのが、平安末期以降、フロンティア地域として島流し先の「鬼界島」とあらわれる*2
また、奈良時代の作であるが、東大寺の四天王立像は、どれも鬼を踏みつけにしている。
「鬼」は観念的におそろしいものには違いないが、どこか違う。
平安京の外と内を分けるフロンティアとも言える朱雀門に棲んでいて、時には京内にあらわれて、双六に誘うのだ。
「鬼」は「貴」と紙一重で、恐ろしくもあるのだが、人々の好奇の対象であったのかもしれない。


3は、死者のよいところを集めて、見め、かたちを整えることができても、魂を育むのに学問が観念的に重視されていたという解釈が可能である。
学問を授けようというある種普遍的な親心が「鬼」にあるからこそ、悪役にされているにも関わらず「鬼」への共感を禁じ得ない。


「鬼」は内と外の境で、そのどちらをも自由に行き来している。
内を変える原動力は、外にあるわけで、「鬼」の存在は許容され、かつ肯定的に捉えられることもあるのだろう。
今は難局。心を「鬼」にして臨まねば、必要な変革が行われないことを心しなければならない。

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↑大石【1980】再録

*1:小松茂美編『コンパクト版 日本の絵巻11 長谷雄草紙 絵師草紙』中央公論社 1994

*2:永山修一「キカイガシマ・イオウガシマ考」笹山晴生先生還暦記念会編『日本 律令制論集』下巻, 吉川弘文館, 1993 ほかにも村井章介「鬼界が島考」『アジア歴史文化研究所報』17, 2000 大石直正「外が浜・夷島考」関晃教授還暦記念会『日本古代史研究』吉川弘文館,1980